2010年 7月 12日
茶の交易で栄えたナシ族の街、麗江。中国雲南省の西北部、チベット高原の東南端に位置する。省都昆明から約600キロ、高速バスで9時間、飛行機と車で2時間。麗江古城は1997年に世界文化遺産に登録された。
地図
麗江は、古い建築が建ち並ぶ「古城(旧市街)」と新市街に分かれています。丘の上から見下ろすと、瓦屋根の古い民家がびっしり並ぶ様子はたいへん美しい。
古城のいたるところには水路が走っていて、住民が生活用水にも使っています。もともと、きれいな水が流れるところから「麗江」と呼ばれるようになりました。
1986年に初めて訪れた麗江は、いかにも「秘境」といった趣のある、やけに老人だけが目立つ埃っぽくて暗く重々しい感じの町でした。町で外国人が泊まれる宿は、当時1軒だけで、公安局の向かいにあった招待所です。
毎朝6時ころ、街頭のスピーカーからけたたましい国歌と、それに続く放送がありました。当時はまだ中国語がわからなかったので、大いなる雑音そのものでした。こういう放送だったようです。
「今日は3月10日、水曜日、農暦2月15日。昨日、鄧小平同志は上海の@@工場の視察に出かけて云々・・・」
食事をするところが少ないというのも、私たち外国人旅行者にとっては困った問題で、それが不便さや地味さに通 じるところもありました。ただ、そういった雰囲気がまた、雲南の奥地を感じさせる麗江という町の魅力でもあったのです。
たまたま招待所でいっしょになった日本人旅行者と国営食堂に入ったとき、彼の頼んだご飯の中からゴキブリが出てきました。彼が平気な顔で「これも蛋白質、蛋白質」と呪文のようにいって、その長さ2センチばかりのゴキブリの死骸を箸でつまみあげたとき、おい、それ食っちゃうのかァ?と一瞬驚いてしまいましたが、さすがにそれは床に捨てて、何もなかったようにご飯を食べ始めました。
床に仰向けになっている死骸を指差して、私は「こんなの入ってたぞ!」と服務員(従業員)の女に日本語で文句をいいましたが、彼女は表情ひとつ変えずにそれをチラッと一瞥しただけで厨房へ入ってしまいました。中国での従業員の態度の悪さに慣れてきたとはいえ、さすがにこの時は腹が立ちました。でも当の本人が黙々とご飯を食べ続けるのを見て「おたく、もう中国人になりきってますねェ」と、私は怒りの気持ちもどこかへいってしまい、ひたすら彼を感嘆の目で眺めたものでした。
それがどうでしょうか。今では、世界遺産に登録され、観光客がわんさと押しかける観光地になり、当然ながら「ご飯にゴキブリ」などという汚い食堂はまったく姿を消して、小綺麗なレストランやカフェがたくさんできたし、高級ホテルも営業しています。賑やかで華やかな町に変貌しました。
さて、ナシ族の文化はユニークなものが多いですが、特に「東巴(トンパ)文字」や「ナシ古楽」が知られています。
ナシ族は千年あまり前、表意象形文字を作り出しました。この象形文字で、民間故事伝説、宗教経典などを著しました。この文字は、トンパ(東巴)教の経典を書写するのに用いたところから「東巴文(トンパ文字)」と呼ばれます。
トンパ文字が「おもしろい文字」として、日本でも一時はやりました。コンビニでトンパ文字を使った名刺を作れたり、お茶のペットボトルにデザインされたり、大ブレークか?と、思ったら、いつの間にか下火になってしまいました。でも今でも、一部の人たちには根強い人気があります。「象形文字」よりも絵に近い、優しさ、素朴さがうけているようです。
ナシ古楽は「中国音楽の生きた化石」といわれ、明・清時代に麗江に伝わった中原の音楽に、ナシ族ふうの演奏技法などが融合したものです。80年代に初めて聴いたときは、まるで何かの秘密結社の集会のような薄暗い民家の中で、外国人観光客を集めて、細々と演奏していました。
町の北側にはナシ族の聖なる山、玉龍雪山がそびえています。朝陽を受けた山の写真を撮るなら、街を抜けた畑の中で待つのがベストですが、もし時間がない場合は、街のはずれにある玉泉公園がお勧めです。ここからは池越しに山の写真を撮ることができます。