2010年 7月 12日
中国新彊ウイグル自治区の北西、博楽市にサリム湖(賽里木湖、サイラム湖)と呼ばれる湖がある。透明な水をたたえた海抜2073メートルの湖の回りは、カザフ族の夏の放牧地で、青々とした草原に彼らの白いユルト(テント)が点在する。もともと、天上山脈北方に住んでいた烏孫という民族を主として、各遊牧民族が融合して形成されたのがカザフ族。14世紀ごろに中央アジアでウズベクと名乗る部族集団ができ、15世紀中ごろ、このウズベクの一部が分かれてキルギス草原でカザフ汗国をたてた。
地図
サリム湖のまわりは草原が広がり、カザフ族がユルトと呼ぶテントを張って、馬、羊、ラクダの放牧をやっています。私はここのドライブインの宿に、10日以上泊まって写真を撮りました。
夏の3か月間、カザフ族はここで暮らします。秋になって草原の草が枯れ、家畜の放牧ができなくなると、低地へと帰っていきます。
ある夜、ユルトに招待されて、酒を呑みにいきました。中に入ると、羊肉の塊が皿の上に置かれているのが目に入りました。席に着くとすぐ、茶碗にコーリャンから作られた焼酎が注がれました。
この50度の強い酒を一気に飲み干し1曲歌い、歌い終わったら次の人が飲み干し歌うのだというのです。私が躊躇していると、彼らは、これはカザフ族の習慣だからと言い、断るスキを与えません。大勢なら問題ないのですが、その席には私を含めて3人しかいなかったので、すぐに私の順番が回ってきてしまいます。
だれも日本語の歌など知らないのをいいことに「君が代」や「炭鉱節」のメロディーに、人の悪口を交えた即興の歌詞をつけて歌ったりして、けっこういい気分になりました。
それにしても、彼らの体格のガッチリしているのには感心しましたが、歌う声量がまた並外れてデカイのには驚ろきました。ロシア民謡風の朗々とした歌声に、酒の酔いもあいまって、うっとりと聞き惚れてしまったのです。
さて、何度目かの歌の順番が回ってきて、歌える日本の歌も尽きてきたころ、男は唐突に「あなたの父親の名前は?」と聞きました。「コウイチですが・・・それが何か?」私は言いました。するとまた「そのコウイチの父親の名前は?」と聞くのです。「コウスケ」と答えました。「コウスケの父親の名前は?」・・・・
4代先の名前は覚えていないので「あとは知りません」と答えると、彼らはさも残念そうに、「あなたはカザフ族とは結婚できない」と言うのです。「どうして?」と聞くと、「カザフ族では結婚する双方の7代前までの父親の名前が全部違ったものでないと結婚できないんだ」と言うのです。4代前の名前さえ言えないようでは論外なのだそうです。
別に私は、カザフ族と結婚できないからと知って悲しくはありませんでしたが、彼らは私をカザフ族の一員として扱うようなところがあり、部外者なんだからいいではないかと、鬱陶しくなることもある反面、それ以上に嬉しくもあったのです。
10日間滞在したサリム湖を、そろそろ離れようと思っていたある日のこと。その日もまた空は青く澄みきって、快い風が吹いていました。私はその高原の空気を満喫しながら、おばさんがくれたお茶を飲んでいました。
「どうして夏はここで暮らすんですか?」
私はふと、彼女にこう聞いてしまったあと、「羊や馬の草のため」と、答えは分かりきっているではないかと、こんな愚問をしたことを少し後悔しました。ところが彼女はこう答えたのです。
「だって低いところは今とても暑いのよ。ここは涼しくて気持ちがいいじゃない」
「嫌なことはやらずに好きなことをやればいいのよ」と、その時彼女がそう言っているように聞こえたのでした。
あとで日本へ帰り、カザフ族のことを調べてみると、中央アジアの大草原で遊牧生活を送っていた人たちの一部が「自由人」という意味で「カザフ」と呼ばれたのが、今日のカザフ族のはじまりだと知りました。
彼らは文字通り草原の自由人だったのです。