2010年 7月 29日
メコン河は、中国青海省の南部、チベット自治区との境界をつくるタングラ山脈の北面 を源とする。玉樹藏族自治州雑多県莫雲郷の高原地帯。メコン河のことを、チベット族は「ザチュ(雑曲)」と呼んでいる。「山の間を流れる泉水」という意味である。
地図
メコン源流までは、青海省の省都、西寧から車で3日、玉樹藏族自治州雑多から馬に乗り換えて2日かかりました。
メコンは、中国青海省の南部、タングラ山脈の北面 を源とします。雑多県の莫雲郷です。そこは4000m以上の高原で、チベット族がヤク・馬・羊などを飼い、移動用のテントで暮らしていました。
ヤクの乳から作ったバターは食料・灯明、顔に塗れば乾燥防止のクリームに、毛はテントの材料に、糞は燃料になります。高原の厳しい環境でも彼らが適応できるのは、特にこのヤクという家畜がいるからです。
チベット人の案内人と私は、源流に近い草原にテントを張って一泊し、次の日、川をさかのぼっていきました。しばらく行ったところで、案内人は「ここです」と言いました。何のことだ?と私は思いました。「源流はこの泉です」と案内人は言うのです。「泉」というより、単なる水溜まりにしか見えません。しかも川はもっと上流に続いています。ここで私と案内人は、口論になってしまいました。
「川の源流というのは、水の流れの最初の1滴をいうのではないのか?」と私は言いました。「いや、ここから上の流れは、夏でさえ水量 が変わるし、冬になれば凍ったり枯れたりするんだ。でも、この泉だけは何時でも水が湧き出て、我々人間と家畜たちの貴重な水場になる。だからここが源流だと言うんだ」と、彼らは主張しました。
そこは、昔々龍が舞い降りたという伝説が残る聖山「ホホジョディ」の麓にありました。
私は、源流と言えば、地理学的・科学的な源流しか頭にありませんでしたが、地元の人間には、そんなものとは全く関わりなく、命の源となる貴重な水を提供してくれる、その水溜まりこそが聖なる場所であり、彼らにとっての「源流」であることを教えられたのです。
その後、日中合同隊や、フランス隊など、学術調査隊が初めてメコン源流域に入りました。私が初めて行ったとき(1992年)は、まだ源流さえ確定されていなかったのです。
意外に思うかもしれません。私もそうでした。こんな有名な河なのに、源流がどこかわからないなんて・・・。でも、メコンというのは、中国の揚子江(長江)や黄河と違い、漢民族にとっては中国辺境地帯を流れる河にすぎなかったのです。しかも80年代まで、東西冷戦のなかで、メコン周辺国は紛争がたえず、「1本の国際河川」という意識は薄かったといえます。当然経済的にも無価値な河でした。
ところが90年代になると、東西冷戦が終わり、流域各国は次々に門戸を開き始め、国際船を運航するなど、メコンはようやく国際河川として人々の関心を集めるようになりました。