2010年 8月 10日
パキスタンのイスラマバード、ギルギット、さらにフンザ川の谷を上り、標高4703mのクンジュラブ峠を越えると、中国新疆ウイグル族自治区に至る。 この街道は「カラコルム・ハイウェー」と呼ばれ、世界でも有数の高地を走る道として有名。自動車道路(ハイウェー)が、両国の協力のもと、はじめて開通 したのは1978年のこと。
地図
パキスタンからクンジュラブ峠を通って中国のタシュクルガンに入った私は、ひょんなことからロバ車を買うことになったのでした。
タシュクルガンからカシュガルまでの道は、ゴングール、ムスターク・アタ(標高7546m)など、7000m級の山々が目の前まで迫り、息を飲むばかりに美しい。それを知っていたので、歩いて旅しようと思っていたのですが、ロバ車なら荷物を背負わなくてもいい分、楽だろうと考えたのでした。それでロバ車を60元で譲ってもらったのです。
ところが・・・。
全部話をすると長くなってしまうので、それはまたの機会にしますが、とにかくこの、ドン。とんでもない食わせ者だったのです。見た目は白馬(?)でおとなしそうですが、人間をなめきった老獪なロバでした。私が荷車に乗ると、動かなくなってしまうのです。
ただ、ある峠越えのときだけは、ドンがいなかったらどうなっていただろうかと今でも思います。出発して2日目、4000m以上の峠を越えることになりました。
峠手前に1軒、道路補修のための小屋があったのですが、泊まることを拒否され、しかたなく歩き始め、疲れたので寝袋に入り、野原に横になっていると、顔に冷たいものが当たりました。なんだろう?と、懐中電灯で照らすと、空から降ってくる無数の雪でした。このまま寝ていたら死んでしまうと思ったので、1晩中歩き続けることにしたのです。
そのとき、高山病もあったのでしょう。朦朧とした意識の中で、私はドンと、一晩中日本語で会話をしていたような気がするのです。そんな馬鹿なと思うのですが。しかも、普段は言うことをきかない頑固者なのに、この夜は歩き続けてくれたのでした。
「お前も不欄なやつだなぁ」
「そんなことないさ」
「こんな旅行につきあわされて・・・」
「気にするなって」
「疲れたろう?」
「まあね」
このときはドンも、生き物の本能として、ここで歩き続けなければ死んでしまうと感じたのかもしれません。
空が白みかけたとき、ようやく峠を越し、広々とした草原にキルギス族のユルト(天幕住居)から煙が立ち昇っているのが見え、「あぁ、俺は生きている」と思いました。そしてすぐ、次の道路補修の小屋で朝食を作っていたウイグル族に声をかけられ、部屋に招き入れられたのです。
そのとき食べた水餃子のおいしさとストーブの暖かさは、一生忘れられないものになりました。ある意味「死と再生」を体験し、私にとっての桃源郷だったかもしれません。
結局タシュクルガンからカシュガルまで約300km、12日間ほどかかりました。道路工事のキャンプや、キルギス族のユルトや、ウイグル族の空き家に泊めてもらったりしながら。
この道はまた、旧ソ連のキルギスタン、タジキスタンとの国境ぞいに走っています。だから住民はキルギス族、タジク族が多かった。すばらしい体験をすることができて満足しました。
しかし、この話はこれで終わりませんでした。意外な結末を迎えたのでした。(続きはPuboo(パブー)版電子書籍で 『ロバ車で旅したカラコルム・ハイウェー』)