2010年 8月 24日
ヒマラヤにおけるチャールダームヤットラ(四聖地巡礼)の基点になる街ハリドワール。夏を中心に年間を通じて多くの巡礼者たちが訪れる。また12年に一度、世界最大の祭りクンブメーラがやってくることでも知られている。
ハリドワールはヒマラヤ巡礼の基点であると書いたが、実際は誰もがヒマラヤを目指すわけではない。お金や時間がなければハリドワールが旅の終着点となる。また、ハリドワールを越えてヒマラヤへおもむく巡礼者たちも、多くは山をめぐったあとに再びハリドワールに戻ってくる。ハリドワールは、ヒマラヤを目指す人と戻ってくる人、そしてこの街を旅の終着点として滞在する人がさまざまな形で交差する街でもある。
夏の巡礼シーズン、ガンジス川の河原が巡礼者たちに埋め尽くされることになる。お金がない彼らは安宿に泊まることさえ出来ないので、何晩でも河原で野宿する。そしておそらく、夜の空を眺めながらいろいろなことを考える。
ヒマラヤへ行こうかどうしようか、行くならどこへ行こうか、無事にヒマラヤを巡礼できるのだろうか、そしてヒマラヤを巡礼することで、何かの幸せをつかむことができるのだろうか?
ヒマラヤ巡礼はお金のない人にとっては今でも一大事業だ。大きな決断をして旅に出た彼らはその出発点でいきなり岐路に立たされる。ヒマラヤの物価が近年急上昇したのも彼らにとってはつらい。そんな厳しい状況のなかで、いったいどんな決断をするのだろう。僕はガンジス川の河原を撮り歩きながら、なぜかそんなことを考えずにはいられなかった。
「ハリドワール2」のほうで、巡礼者たちのポートレートを掲載することにして、このページでは様々な人が交差するイメージでまとめてみた。写真はすべて横位置のもので統一した。横位置の写真は広がりを表現できるが、とくにスナップとして撮る場合は、構図のあいまいさを表現するのに適していると思う。右に寄るのか左に寄るのか、といった一瞬の選択から、人生の岐路に立たされた人たちの心のゆらぎを少しでも表現できていればと思う。
写真について、少し説明しておきたい。
11枚目の盲目のおじさん。記憶に間違いがなければ、6年前にも彼を撮った記憶がある。当時は楽器を弾いていたが、このときは、壊れた楽器を手にしていただけだ。そして2年後、何も持たずに物乞いしていたおじさんを見た。
そして最後から二番目の写真。サドゥ(ヨーガ修行者)である彼に迷いがあるかどうか。迷いがあったとしても、彼はそのまま体を地面に横たえる。これは死者のポーズだろう。