2010年 7月 13日
私が住む京都のはりあな散歩。
うまい写真、よく撮れてる写真に飽きたのだ。ひと言でいえば、そういうことなのだ。その背景には、写真の撮り方と写真の見せ方が、これまでとはガラリと変わったという事情がある。デジタルカメラ全盛になり、だれでもきれいな写真を撮れるようになった。フィルム時代には考えられなかったような条件下での撮影や、フィルム代や現像代を思うとぜったい不可能な試行錯誤も躊躇せずに行えて、すぐに結果を確認することもできる。そして、写真の見せ方の大変革といえば、言うまでもなくパソコンとインターネットの普及である。うまい写真、よく撮れてる写真はいま世の中にあふれている。へたくそながらも、その希少価値で、珍しい外国の写真をほそぼそと売ってお金に換えてきた私としては、まったく商売あがったりなのだ。毎年のようにアップグレードされる写真機材や、PCや映像関連ソフト等々、それらの出費が零細フリーカメラマンの上に、漬物石のようにのしかかる。ま、愚痴をならべたとて状況が好転するわけでもないが、私にとって針孔写真は、そんな閉塞感を紛らすためのちょうど良いオモチャだった。
カメラ店の中古品の棚で埃をかぶっていた、シャッターの壊れた50年前のスプリングカメラと、ワゴンセールのジャンク品の山から、まだ使用可能なミノルタの古い一眼レフを買ってきた。前者が5000円、後者が1500円。スプリングカメラを解体してブローニー版 (6x6 cm) のピンホールカメラを、そしてミノルタ一眼レフのボディーキャップに、ピンホール板を取り付けた35mm サイズのピンホールカメラを作った。針孔の部分は、缶ビールのアルミ板を小さくきって針で孔をあけた。簡単に書いたが、この辺は緻密な計算と大ざっぱな試行錯誤で、たいへん苦労した。もちろんそれは、我を忘れて作業に熱中した至福の時間だった。
完成したピンホールカメラに、数年ぶりに買ったブローニーのポジフィルムをつめて植物園で試し撮りをした。それがこのフォルダのおもな写真だ。光線もれもほとんどなく、画角もイメージ通りの超広角になった。針孔のf値もほぼ計算どおり。自作カメラの出来はまず合格点のようだ。
ピントが合っているようないないような、夢の中で見る景色のような写真。針孔写真の魅力は、その辺にあるのだと思う。こんなピンぼけ写真を見るとイライラする、という人もいる。そういうかたは、この写真のフォルダを開かないでください。