2010年 11月 17日
植物が気になる。興味があるというよりその存在自体が気になり、ファインダーからのぞいていると不思議で幻想的な気分が満ち溢れてくる。
2008年12月4日、早めに家を出て午後の街をうろついていたが気分が乗らず、なんとなく明治神宮へ行くことにした。原宿の駅を出て神宮橋を渡り、目の前に明治神宮の大鳥居を見た瞬間から心が晴れていくような気がしたが、とりあえずは鳥居をくぐって参道を進んだ。明治神宮に来るのは今回が二度目か三度目だったが、今日はなぜか、左手に広がる森が気になって仕方ない。入りたいなあ、という誘惑を抑えつつしばらく歩くと、「神宮御苑」の入り口に差し掛かった。御苑があることをはじめて知ったが、これは森を歩くチャンスかもしれない。入り口にはほかに観光客の姿もなく、ひっそりとした雰囲気がなんともいえない。
500円の入場券を買って森に入った。あたりは森閑としていてまるでどこかのジャングルに迷い込んだような気分だ。冬の弱い光が森に差し込み、歩くごとに無数の光と影が通り過ぎていく。幻想的だ。そして豊かな森、というのが御苑に対する第一印象だった。
しばらく行くと整理された庭園と池が広がる一角があったが、左手の細道に誘われまた森へ入る。水辺の植物などが茂る森を歩くと最後は池の前で行き止まりになる。その風景がよかった。真っ赤に紅葉したもみじが大きく手を広げている。こんなふうに紅葉を眺めるのはいつ以来だろう。
行き止まりの道を戻り、今度は反対側へ、菖蒲園などを通って清正井(きよまさのいど)への道をたどる。清正井というのは湧水からなる井戸で、その後パワースポットブームに乗って一躍有名になったが、当時はほとんど知られずこのあたりの道も森閑としていた。周囲にはもみじも多く、緑のあいだから真っ赤なもみじが見えて美しい。すでに閉門近い時間で、あたりは青く冷たい空気に包まれ、いかにも晩秋の夕暮れ、といった感じだが、それがなんともいえず懐かしい気がする。閉門のアナウンスがあり仕方なく御苑を出たが、しばらくはまだ夢の中を歩いているような不思議な気分がしばらく続いた。
家に帰って御苑のことをネットで検索してみた。この森はどれぐらい古い森だろうと思ったからだ。しかし結果は意外だった。森の造営工事が始まったのが大正4年、1915年ということなのでまだ100年経っていない。ただし、当時の総理大臣である大隈重信が格調高い杉林にしろ、と主張したのに対し、当時の林苑関係者が強硬に反対し、365種の植物からなる雑木林にしたということである。そのときのテーマがなんと「永遠の森」であった。そのことが現在の豊かな森を作り上げたのだ。
神宮御苑の森を歩いて以来、僕はちょっと気分が変わってしまった。植物の魔力にかかってしまったような感じで、都市のストリートスナップには力が入らなくなり、ことあるごとに多摩川へ向こうようになった。