2010年 10月 11日
ヤンゴンはイギリスの植民地時代に開発されその後、首都となった。それまでラングーンと呼ばれていた名前が1989年にヤンゴンに変えられた。これは、Burma から Myanmar に変わったのと同じで、変わったのは英語呼称だけで、ビルマ語名は昔からヤンゴンと呼ばれていて変わっていない。2006年、首都がネピドーに移転したが、今でもミャンマーの中心地で最大の都市だ。
まだ外国人にはラングーンと呼ばれていた頃だ。空港で拾ったタクシーは、50年代のボロボロのアメ車。市街地へ向かって一生懸命走る。時々すれ違う車はこれまた時代もののボンネットバスかトラックだけだ。夜が迫った道の両側にローソクや裸電球で照らされた露天が流れていく。歩いている人たちは男も女もロンジーと呼ばれる腰巻きを身にまとい、ゆっくりと歩いている。まるで、バリの影絵ワヤンを見るかのようだった。
ダウンタウンに着いた。ビルが立ち並ぶが、どれもイギリス植民地時代のものだ。熱帯の太陽と雨のためか、手入れをしていないためか、たぶんその両方だろう、朽ちていった植民地といった雰囲気だ。ネオンサインなど全くない薄暗いメインストリート、車がほとんど通らない車道では若者たちが座ってギターを弾いていた。
というのが1987年に初めてヤンゴンを訪れたときの第一印象だ。今でも、街全体が博物館のようなダウンタウンの古い建物はそのままだし、ロンジー姿も多い。しかし、近代的なビルやスーパーマーケットもいくつかでき、いたるところで渋滞もおきている。若者はジーンズやスカートがあたり前になってきた。ラングーンからヤンゴンに変わり、変わらない街も少しずつ変わってきている。