2010年 8月 21日
バガン遺跡の中心地、オールドバガン。80年代まで小さな町(村)があったが、遺跡保護という名目で90年代初めに住民は4kmほど南に離れたニューバガンに強制移住となった。今ではオールドバガンに住む人たちはごくわずかだ。オールドバガンの東側に6kmほど離れたところにニャンウーという古くからの町があり、ここがバガン近郊では一番大きな町だ。空港もニャンウーにある。
バガンはエーヤーワディ河(イラワジ川)に面している。80年代まではそこで砂金取りをする人も多かった。エッエーは若いころエーヤーワディ河で漁師をしていた。稼ぎが少ない漁師をやめて馬車ドライバーとなったのは、外国人観光客が入り始めた90年代中頃だった。英語は独学、耳で聞いて覚えた。マドンナという牝馬を相棒に毎日バガンの遺跡を走っている。オールドバガンの僧院の敷地内にある小さな家で家族が待っている。
私が1987年に初めてバガンに行ったときにエーヤーワディ河で砂金取りをしていたのがジャンボ。人より大きかったらあだ名がジャンボだ。その頃少女だった彼女が今はお母さん。オールドバガンの小さな露天でお菓子や噛みタバコを売っている。
私がよくバガンに行っていたときに泊まっていたのが、ニャンウーのラッキーセブンというゲストハウス。家族同様のもてなしを受けた。そのラッキーセブンも別の会社の事務所となり、今はもうない。
バガンには毎日多くの観光客が来ては帰っていく。そこにも普通の生活があり毎日小さなドラマが起きていた。いつしか、私のカメラも遺跡そのものからその周りに生きる人の方へ向かっていた。今その時に撮った写真を見ている。その時撮った写真はその時は「今」だったが、10年以上も経つと「過去」になっている。あと100年も経つとどうなるか。遺跡が過去の記憶を残すものなら、写真は遺跡そのものかもしれない。
バガン1(遺跡) | バガン2(遺跡に暮らす)