2010年 11月 03日
中辺路(なかへち)は、田辺から熊野大社へ至るルート。しかし、田辺から滝尻までは古道がほとんど残っていないので、滝尻から熊野大社まで1泊2日で歩いた。滝尻から熊野大社まで約40kmほど。
地図
小辺路、雲取越えを歩いて一度東京に戻り、3週間ほどして中辺路へ向かった。もう11月、山は霜が降りるはど寒くなっていたが、暑いよりはずっといい。中辺路は最初の滝尻から2時間ほどの上りを除き、アップダウンもきつくなく楽に歩ける。古道も整備されているので迷うこともないだろう。私が歩いたときは3連休にかかっていたせいか、何人かの人たちと出会った。ただ、滝尻から熊野大社まで全部歩く人は少なかった。
1日目は天気がよかったが、2日目は途中から雨になった。歩くのは大変だが、写真的には雨のほうが雰囲気がでる。このとき、熊野本宮まであと1時間半ほどのところでかなりの土砂降りになってきた。雨カッパ姿で一人車道を歩いたら、後ろから車が来て止まった。「乗って行きなさいよ」と、声をかけてくれた。暖かそうな車内にちょっと心が揺れたが、最後まで歩きたかった私は丁寧にお断りした。こういう親切な人に出会うと、その土地への親近感が沸いてくる。
あたりが少し薄暗くなってきた中、熊野本宮に到着した。本宮の宿坊で荷をとき、まずカメラをチェック。防水ではないカメラは、内部に水が入ったためか液晶部分がちょっと曇っていたが、問題なく動いていた。撮影時に上にタオルをかけるくらいで雨対策をやってなかったが、熊野古道を無事撮影できた。大変だったのは私よりもカメラだったかもしれない。
写真は、3段目の建物の写真までは滝尻から継桜王子、その後は継桜王子から熊野本宮大社。最後の写真は列車の窓からの熊野灘だ。
その昔、熊野灘では補陀落渡海が行われていた。修行者が小舟に乗り、海流に流されるまま補陀洛にたどり着くことを願った。補陀洛(ふだらく)はインドのはるか南方海上にあるという八角形の山、サンスクリット語ではポータラカといい、チベットのポタラ宮の名前の由来にもなっているという。那智の青岸渡寺も開祖はインドから来た裸形上人だ。熊野はインドやチベットともつながっている。
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